知人とは連絡を取ったりしていたのだが、あんまり黙っているのも何なので、3月11日14時46分以降のことを書きます。
その時、会社でいつもどおり仕事。
グラっとしたかと思うと、普段感じる地震よりも長い。その内、揺れ方が異常なことに。
机の下に隠れ、やがて避難指示。
小学校の頃から会社に入った今まで、避難訓練は何度もやってきたが、本当の避難は初めてであった。
揺れも収まり再びオフィスに戻ったその矢先、また強い地震。ただし机の下に入るのみで、避難はなし。
それからずっと小さい揺れが続く。
電車も全てストップし、時間だけが流れる。
仕方ないので普段どおりの仕事をしながら、ネットで情報収集。
19時頃になると、歩いて帰宅する人もちらほらだったが、私は家まで歩くと10時間くらいかかるはず。
電車が動くのを待ち、ダメなら会社に泊まる。
23時過ぎ、通勤経路の全ての電車が動き出したことを確認し、駅へ。
都営との乗り換え駅で、偶然にも学生時代のサークルの後輩に遭遇。
同じ京王なので、一緒に帰る。
1時間ほど待ったか、ようやく電車に乗れた。
京王も各駅停車だったが、普段の帰宅と同じくらいの混み具合。
調布で分かれ、八王子方面に乗り換え。
最寄り駅に着いたのが2時半。普段なら1時間40分くらいだが、この時でも3時間強で到着。
駐車場から車を出し、コンビニに食料が売っていたので買い、帰宅。
土曜日は1日中寝ていた。TVを見ながら、いま自分が、歴史の重大な事件の渦中にいることを実感。
日曜も何もしていないが、多少は外に出た。といっても食糧を買ったりするぐらいだったが。
実は震災の3日前、出張で仙台の宮城野区にいた。
そしてその2日後、とんでもないことが起こった。
昨年からよく出張に行っていた場所も、かなりのダメージを受けているだろう。
そして宮城県の海に面した町に、青春時代をともに過ごした、大切な先輩がいる。
電話も通じないし、メールも帰ってこない。
全く状況が分からないけど、避難していて携帯も通じないのだろう。
心配だが、まずは頑張って、今を乗り切ってほしい。
自分も、明日から輪番停電の対象となった。
電車は本数が減るし、22時前に帰っても(そんな早くは帰らないが)真っ暗。
何週間も続くという話だが、もうどうにもならないし、そんな贅沢も言ってられない。
そういう状況になってしまったのだ。